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OBOG インタビュー Vol.6 別所哲也さん

(取材:粥川大暉 文、粥川大暉 協力:岡崎秀美)

‘MPは僕の俳優人生の原点’

 映画やドラマ、舞台で数多くの大役を務める傍ら、ラジオなどでも多彩に活動されている俳優の別所哲也さん。上京して英語劇を始めるまではまだ俳優を目指していなかったという。そんな別所さんが演劇や英語とどう向き合い、奮闘し、活躍されてきたのか。別所さんが学生時代を振り返り、じっくりとインタビューに答えて下さいました。

―今回はお時間を頂きましてありがとうございます。

まず、別所さんがMPに参加したきっかけは何だったのでしょう?

「大学一年生の時に慶應英語会に入って、川平慈英さんが出てた英語劇『Fame』を見に行ったのがきっかけだったかな。それがとても強烈で、一発でMPの虜になったね。

僕はその前に「Shadow game」というMLSの英語劇に参加していて、それが初めてやったミュージカルだったのですが、そこの参加者にMP出身者が大勢いたのもきっかけの一つです。」

 

―中高はバレーボール部だったそうですが

「中高6年間は体育会系で本当にバレーボールしかやってなかった。朝6時には起きて、授業までバレーボールを磨いて、練習して…昼ご飯も部室で食べて、先輩のお使いにも行ったり。 家に帰ったらあとは寝るだけという生活を送っていましたね。」

 

―なぜ大学から英語やミュージカルの世界へ興味を持ったのでしょう?

「あの頃はまだ俳優になろうとはまったく思っていなくて、ただ英語を勉強しようと思って始めて。

 

大学に入ってから英語を喋れないと社会で使い物にならないと思ったし、せっかく静岡から東京に出てきたから、新しいチャンスだと思った。あとどうせならただ英語を勉強するよりは、楽しみながら学びたかったのもあるかな。仲間もできて楽しかったですね。友達もいま色んなところで活躍しているし」

 

 

―MP に参加する時、不安だったことはありますか? 

「英語はやりたいことだったから、不安よりも楽しもうという気持ちが強かったかな。みんなが同じレベルだからお互いの気持ちもわかるし、辿々しくもみんなで一生懸命にコミュニケーションがとれる。

日本に住んでいてずっと英語漬けになれる環境は他になかなかないよね。」  


 

―MP 参加中に大変だったことはなにかありますか? 

「音楽とか踊りをその場で覚えることは大変だったね。いま振り返ってみると、役作りであったりみんなで舞台を作り上げていくことは大変だったけど、楽しくもあった。キャストもスタッフも一体となってみんなで作りあげていく経験は、大人になるとなかなかできないことだから、よかったよね。」 

 

―英語で話す中で意識してたことは? 

「(皆さんもそうかもしれませんが) どうしても英語を話すとなると発音を気にしたり恥ずかしかったり…色々な葛藤が最初はありますよね。MP にはそれを乗り越えられる仲間がいるから、まずは自分が知ってるボキャブラリーや自分の出来ることから始めたかな。Yoko さんもよく言ってるけど、Broken でいいからカッコつけずに、ʼあなた自身からはじめるʼという事はよく意識してたかな。」 

 

 

 

―主催の陽子さんからのお言葉で何か印象に残っていることはありますか? 

「いっぱいあるけど、自分をめいっぱい信じてやるということを教えてもらった。 やっぱりドラマや舞台では、実際に何もなかったとしても信じていないとお客様もその世界を信じてくれない。目の前の感情や動き、歌とか英語もそうだけど、とにかく自分の出来る目いっぱいを信じることやイマジネーションの大切さに気付かされましたね」 


 

―MP の環境は英語学習に役立ちましたか? 

「英語で歌を歌うという経験ができてすごく良かったなと。発音レベルや英語を体にリズムで慣らして覚えていくことができて勉強する上でとても役立ったね。 

『Return to Africa』という作品でターザンを演じたとき、彼は初め全く言語を話せず、そこから徐々に言葉を覚えていくという役で、当時の自分にとっても演じるには良いキャラクターだった。劇中歌の中には、6拍子の歌とかもあって…本当に難しい曲だらけだったよ。 

当時ほんとに恥ずかしかったのは自分だけパンツ一丁だったこと。ターザンだったからね(笑)。 英語でだけでなく俳優をやるきっかけになったのも、ミュージカルに出会えたのも MP のおかげ。」 


 

―では最後に、別所さんにとってMP とは?

「僕の俳優の原点です。もう間違いなく、今ある自分の原点で、すべて。精神的にも俳優としても、色んなことをMP で学んで、感じて体験して今がある。あの時点でMP をやっていなかったら、今俳優をやっていない。それくらいMP での出来事は僕にとって大きなターニングポイントです。」

 

別所哲也/TETSUYA BESSHO

1990 年、日米合作映画『クライシス 2050』でハリウッドデビュー。米国俳優協会(SAG)会員。99 年より、日本発の国際短編映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル アジア」を主宰し、文化庁長官表彰受賞。映画、ドラマ、舞台、ラジオ等で幅広い活躍を遂げるとともに、観光庁「VISITJAPAN 大使」や内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ強化専門調査会委員、カタールフレンド基金親善大使、映画倫理委員会委員、外務省「ジャパン・ハウス」有識者諮問会議メンバー、東京観光大使など歴任。内閣府「世界活躍し『日本』を発信する日本人」の一人に選出。第 1 回岩谷時子賞奨励賞受賞。第 63 回横浜文化賞受賞。